気時計

スイスイとねぶる

敬具が大きい ②

果てることを知らない私のレーズンパン的病気は、知らんぷりされたことを恨んででもいるのか、わたしをたべちゃいました。

「おお。病なんて」

と、ゲリマンダーの街中で笑うかもしれない。でも、フラダンスしか考えていない人たちからしたらこんなのは対岸の火事というやつで、岩塩の由来を天日塩が嘲るのとおなじなのだ。私の頸動脈のつくりは要素こそ違えど形状は「会場のみんな」と恐らく一緒だろうと思う。

しかし、私は頭のナカミが違うのだ。みんなはクリームソーダだけど、私は一人味噌汁に満ちたまま首の座らないようにかたぶくだろう。「お前は異文化の異教徒」と囃し立てられ魔女狩りに合うだろうがしったこっちゃない。すべては神が悪いのだ。わたしだけ重力が逆さになっても構わないから天に唾吐けるようになってほしい。

気付いたらほうれん草で食べに来ている。「魔球のなんだよ」とか言って、滑舌だ。ア、イケナイ。これは夢ダ。そうすると、もう一つ、なんだか見覚えのある顔のビュッフェが目の前に現れる。選択肢など選べるわけもなく、やがてルーレットは本人で止まった。今、夢の中だと自覚できているだけでなく夢遊病をなんとか抑え切れている。これは、いけるかもしれない。

しかし、どこかのo (___*) の国を代表したように、バグった豹の奈良県で、決心を庇うタッピングペーストもあり得るのである。それは一世一代の蹴りなのだ。

「なあ姉御」

意訳はこうである。私はその女になれていない、いや私から見れば一様に女になれない物体がいう。

「私の意思は今もセロリの茎と大差ない」

意訳はこうである。私のアルファベットは刺さる、と主張してくるソビエト社会主義共和国連邦を懐かしむ、遙かな電子の集いを眼で撫でながら返事をしたのだった。ヒントもなしに'Okkirizolio"とだけ呟く耳長の鳥はむさ苦しく決められた草を食む。その光景と比較して、「アレより増えている」とか「いや、アオサもない」とか「アレよりチカラは少ない」とか会議する海馬を殴りたくなる。つい殴ると、頭と首の骨がデカデカに辛くなった。

わたしの破壊は初めてちょっとアリになった。
そして、医者の言うことは信用できないこともわかった。
夢遊病なんかじゃなく、多重人格、のほうが合ってる。